2月11日の寒い日、韮山の反射炉に行ってみました。こんな小さな炉で、製鉄をして大砲の弾を作っていたとは驚きでした。小さくても内側が反射することで、高い温度で鉄を熱することができる装置を考えたのはすごいことだったと言えます。
先日訪れた代官江川太郎左衛門英龍は、かねてから海外と向き合うに当たって、反射炉の築造が必要であることを幕府に訴え続けようやく1853年に幕府から命を受けて、取りかかったが完成を見ることなく世を去ったのでした。
この日はとても寒かったので、反射炉前のカフェで手作り甘酒を飲んで暖まって帰路につきました。反射炉の周りには樹齢何百年の大木がそびえていました。
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