2019/01/30
あっという間に伊豆生活一ヶ月半が過ぎました。
よく考えてみると、玉庭で雪かき仕事をしていたのは夫であって、私の生活はどこにいてもそう変わりはないのです。
ごく普通のありふれた、当たり前の主婦の仕事をやっているだけです。掃除、洗濯、ごはん作り、でも何かが違うのです。外を見ても白い塊がない!
たいていの日はお日さまが出ていて、風は冷たくてもいつでも上着無しで、ひょいと外へゴミ捨てでも、薪積みの手伝いでも、買い物にも出られるのです。
近所のおばあさんが電気自動車でときどき家の裏の元の畑にやってきて、片付けたりしているとき声をかけると、いろいろ昔のことなどなことを教えてくださるのでためになります。
この辺りは60年前の狩野川台風の時にたいへんな被害を受けたそうです。狩野川に並んで流れている大見川が氾濫して、木造の橋がいくつも流され、水没したり流された家も多数あったそうです。狩野川台風というのはあの恐ろしい伊勢湾台風の翌年に来たそうです。そういえばそれは私がまだ小学生の時でした。
1月の二十日にお隣の伊豆の国市韮山文化センターで 「パン祖のパン祭」というおもしろそうなイヴェントがあるとラジオで聞いたので、行ってみました。
パン祖というのは韮山の反射炉を作った江戸時代の代官として有名な江川太郎左衛門のことで、この人は日本で初めて自宅に釜を作ってパンなるものを焼いて今日のパンの元になった乾パンみたいなパンを広めた人なのです。いろいろなパン屋が出店していて、パン食い競争やその他のおもしろそうな人寄せ的なものもありましたが、私たちは大ホールの「全国高校生パンコンテスト」に直行しました。北海道、九州、本州の各地から調理科のある農業高校などから数回の予選を通過したパン職人を目指す高校生が、最終審査に残った20名で賞を狙うのです。スクリーンには各自の工夫を凝らしたパンの写真が写り、おのおのがプレゼンテーションを行い、審査員の質問に答えたりしました。、一旦昼食時に休憩があり、午後に審査の発表が行われました。伊豆の国市の女性市長さんはとてもにこやかで暖かみのある方でした。審査委員長は静岡県の有名なパン職人さん、さていよいよ審査の結果が発表され、一位に輝いたのはネギ農家の娘さんでお父さんの作ったネギとお母さんの大好きなチーズを入れたパンでした。惜しくも一位をとれなかったパンもそれぞれとても工夫と技量を懲らした美味しそうなパンでした。これは来年もまたぜひ来たいと思った、パン好きトトコの感想でした。
帰りに旧江川太郎左衛門邸を訪れ、幕末に繋がる貴重な話や、その頃幕府から広大な管理地(静岡県から今の神奈川県西部までを任されていた代官の偉さを知りました。
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